アン・オブ・クレーヴ

アン・オブ・クレーヴ

この日の「勝利の行進式」には、元からメアリー・テューダーに付き従ってきた者ばかりではなく、様々な階層の人々もいた。女王就任の恩赦によって釈放された、多くの政治犯もいた。その中にはジョン・ダドリー卿の企てに加担した者もいたが、メアリー・テューダーは即位に当たって「慈悲深い君主」を演出した。クーデタに関わった者でも、対違反の者には恩赦を与えた。今回の一連の騒乱では、多くの民が自らを支持してくれたとは言え、それとは別にまたカトリックの時代へ逆戻りするのではないか、と不安を抱えているものは多い。特にプロテスタントの信者はそうであろう。それらの者達の支持を取り付けるためには、新女王は「慈悲深さ」と「寛容さ」を演出する必要があった。それは伯父であるカール5世やその特使シモン・ルナールの要請でもあった。

 

参列した者の中には、ヘンリー8世の4番目の妃であったアン・オブ・クレーヴの姿もあった。この妃は「容姿が自分の好みではない」という子供のような理由で離婚され、しかしその後は「国王の妹」として自由に宮廷に出入りすることも許可され、邸もいくつか与えられて悠々自適の生活を送っていた。今そのアン・オブ・クレーヴは、エリザベスと共に新女王メアリー・テューダーの横に付き従って、勝利の行進のお供をしている。メアリー・テューダーとアン・オブ・クレーヴはこれまで友人として親しい関係を築き、新女王はヘンリー8世とアン・オブ・クレーヴの結婚は有効なものであったと法律を変更して元妃の名誉を回復し、更には彼女のために財政面での優遇措置まで与えた。アン・オブ・クレーヴはヘンリー8世にこそ見離されたが故に、6人の妃の中で誰よりも長生きし、イングランド史上初の女王誕生という歴史的瞬間にさえ立ち会うことが出来た。隠退後は悠々自適の生活まで手に入れた。6人の妃の中で、最も幸福な人生を送った、と言えるのではなかろうか。この4年後にアン・オブ・クレーヴは、生まれ故郷のドイツから海を隔てた異国の地で安らかな晩年を過ごしながら、42年の数奇な生涯を閉じた。