エリザベス1世

エリザベス

メアリー1世

メアリー1世

  • 確執の始まり

1553年10月1日、ウェストミンスター大聖堂で、新女王メアリー・テューダーの戴冠式が盛大に行われた。これ以後、国王としては正式に「メアリー1世」となる。だが再度申し上げるが、この物語では後に出てくるスコットランドの女王も「メアリー1世」となっており、混同を避けるためにイングランドのメアリー1世は「メアリー・テューダー」、スコットランドのメアリー1世は「メアリー・ステュアート」と呼んでいく。

イングランド史上初の女王の戴冠式。その歴史的な晴れ舞台の主役になるのは本来、メアリー・テューダーのはずであったが、誰が見てもエリザベスが主役のお株を奪ってしまった感があった。本人が好むと好まざるとに関わらず。この時37歳になるメアリー・テューダーがどこか疲れ切って苦しげな、暗い怨念を抱えているような表情であるのに対し、この時20歳になったばかりのエリザベスには若々しさ、凛とした気品、人々の心を惹きつける不思議な魅力が溢れていた。戴冠式に出席したある国の大使は、「プリンセス・エリザベスの容姿はとても美しく、立ち居振る舞いには威厳と気品が溢れているので、誰もがプリンセス・エリザベスを女王と見間違えてしまう」と、日記に書き記している。

一方、主役の座を食われてしまった感のあるメアリー・テューダーには、それまで王位に就く高揚感によって抑えられていたエリザベス、そしてその母アン・ブーリンに対する嫉妬・怨念・復讐の感情が、またぞろ頭をもたげてきた。関係各位の日記などに拠ると、この戴冠式の後からメアリー・テューダーのエリザベスに対する態度が、あからさまに敵対的になったと言われている。メアリー・テューダーは母キャサリン・オブ・アラゴンの屈辱を晴らすために、女王を目指してきたと言っても過言ではない。民衆は今でも「国母」と慕ってくれはするが、ヘンリー8世からは、「ただ男子を生むことが出来なかった」という理由だけで離婚を強要され、不遇のうちにこの世を去った。しかも侍女であったアン・ブーリンに追いやられる形で。アン・ブーリンもまた非業の死を遂げたのは、メアリー・テューダーに言わせれば自業自得。しかしその子のエリザベスは、成長すると共に母の仇アン・ブーリンにそっくりになってきた。エリザベスが出来損ないの何の力もない存在であれば、ここまで感情を掻き立てられることもないであろう。だがこの義理の妹は、自分より明らかに華やかで存在感があり、それだけならまだしも学問も出来る。おまけに庶子の身でありながら、自分の次の王位継承者である。

(以下、次回に続く)

ヨーロッパ史の英雄に学ぶ

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