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エリザベス1世

メアリー1世

メアリー・テューダー

デモの発生を見て危険を感じたか、人伝に情報を得たか。身の危険を感じたエリザベスは、すぐさまメアリー・テューダーを訪れ、恭順の態度を示した。メアリー・テューダーの述懐では「おどおどと震えながら」平伏し、涙ながらに「私は生まれながらにプロテスタントなので、カトリックの信仰には全く無知で、教わったことがありません。是非、カトリックの本を頂戴して、女王により真実の道にお導き下さい」。メアリー・テューダーもこれが見え透いた芝居だとは見抜いていたが、ここまで言われてしまっては投獄という手段を取る口実がない。そこで女王は「9月8日、聖母マリアの生誕祭の日に、チャペル・ロイヤルで行われるミサに出席なさい」と命令。これに対してエリザベスは、腹痛により体調が思わしくなく、出席は難しいと逃げの一手。これはどうやら仮病ではなく、本当に病んでいたようだ。果たして9月8日の当日。エリザベスは本当にそのミサを欠席したが、その次の日曜日以降は毎週のように参加した。今は女王に従っておいた方が無難、という現実的判断を働かせた。

特使シモン・ルナールも、大法官ガーディナーも、そしてロンドン駐在の各国大使も、これがただの芝居で本心からの改宗ではないことは見抜いていた。だが内心はどうあれ、まずは権勢の絶頂にいるメアリー・テューダーに対して、今は妥協するところは妥協して生き延びることが最重要事項であった。エリザベスにとっては信仰はもちろん大事であったが、信仰に殉じる気持ちは全くなかった。この点が、この時点ではまだ、ロンドン塔に収監されながらも生きていた「9日間の女王」ジェーン・グレイとの決定的な差である。一方は改宗を拒否し、信仰に殉じて斬首。片や一時的な妥協に良心の呵責など感じず、現実的選択をして生き延びている。この懐の深さが、エリザベスが後に歴史に名を残す女王となった所以であろう。メアリー・テューダーはともかくも、このエリザベスの健気な「努力」(演技?)を良しとして、戴冠式への出席も認める。こういう点、メアリー・テューダーは熱すると手が付けられないほど過激になるが、その反面情に脆い所もあり、統治者としてはややお人好しな面もある。

(以下、次回に続く)