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清く図太くしたたかに!

3日で読めるトップが強運であり続けるための『人間学読本』

ヨーロッパ英雄史小説作家・小園崇文です。

デキるリーダーは歴史に学ぶ!ヨーロッパ史を図太くしぶとく生き抜いた強運な王たちの物語

1462年、フリードリヒ3世が47歳の時。3歳違いの弟アルブレヒトの反乱により、家族ともどもハプスブルク家の本拠であるウィーンを追い出されます。

この弟アルブレヒト。大愚図な兄とは打って変わって、同じ血を分けた兄弟とは思えないぐらいに実力もあり、能力も高い。ウィーン市民も「大愚図皇帝」の時に比べて暮らしやすく、トルコ軍も撃退してくれてオーストリアの繁栄が訪れるであろうことを期待します。

ですが…。その期待に反してこのアルブレヒト、ウィーンに君臨した途端に、苛斂誅求を極める圧政を開始。「なまじ能力に自信のある人」が陥りがちなパターン。前任者との違いを見せつけようとして、「自分は強いリーダーなのだ!」と張り切り過ぎて、他人にとっては「迷惑な頑張り」を押し付ける。

多くの市民が期待を寄せていたアルブレヒトが、まさかこんな圧政を行うとは…。ウィーン市民は、途端に「無能」でズボラであるが故に、特に何ら為政者らしいこともせず、従って人畜無害でそれなりに暮らせたフリードリヒ3世の時代を懐かしむようになります。

中国のお話に「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」というものがあります。簡単に説明すると、「朝は田を耕し、夜は食って寝る。だから王様なんておいらには関係ねぇ~や」というお話。詳しくはGoogleで検索してみてください。

また、同じく中国の古典『老子』に、「大上は下之有るを知るのみ」という言葉があります。最上のリーダーとは、部下や市民に恐れられる人よりも、尊敬される人よりも、「居るのか居ないのかよく分かんない」ぐらいの人物が最上だ、という内容です。

フリードリヒ3世が「最上の人物」であるかどうかは別として(笑)、少なくともウィーン市民に重苦しさや厳格さを全く感じさせなかった人物であることは確か。何一つ仕事らしい仕事をやろうとしないから、一時は追い出されますが、アルブレヒトという圧政を施す独裁者が現れて、初めてその良さ(?)が分かった次第。

しかし追い出してしまった後から気が付いても、もう遅い…。当分はアルブレヒトの圧政が続くのか…?

と思われていましたが、このアルブレヒトを1463年、突如原因不明の病気が襲います。そして同年12月、アルブレヒト死去。あまりのタイミングの良さに、毒殺説も流れたほど。もっともアルブレヒトの圧政、毒殺されても仕方がないぐらいの恨みを買っていました。

と、そんなこんなでフリードリヒ3世、実力では到底かなわない弟アルブレヒトの「突然死」によって、逃げ回っていただけなのにまたもやウィーンに舞い戻って君臨するという「」ぶりを発揮したのです。

再び舞い戻ることが出来たとはいえ、そもそも追放されたのは自らの不甲斐なさが原因なのですから、ここで一念発起して気合を入れ直して、「市民に愛される政治」に力を入れるかと思いきや…。とてもとてもそんな殊勝な気持ちは持ち合わせておりません。相も変わらずグータラ政治

ましてやウィーン市民はアルブレヒトの圧政を経験してからは、「愚図でもフリードリヒの方がまだまし」と思うようになりましたから、そんなウィーン市民の「気持ちを汲んで」フリードリヒ3世、ますますその「大愚図ぶり」に磨きをかけていきます。

しかしフリードリヒ3世が生きた時代のヨーロッパ。戦乱と疫病が猛威を振るう激動の時代。フリードリヒ3世の人生も、そんな時代に合わせるかのように激動に次ぐ激動。というより逃げて逃げて逃げまくる!

そして弟アルブレヒトの病死という僥倖(?)に恵まれて、再びウィーンに舞い戻って相も変わらず「大愚図」ぶりを発揮していたフリードリヒ3世に、またもやピンチが訪れます…。

このピンチ、フリードリヒ3世はいかに切り抜ける(逃げる)のか…?

 

また1週間後に、この続きを配信いたします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!