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清く図太くしたたかに!

3日で読めるトップが強運であり続けるための『人間学読本』

ヨーロッパ英雄史小説作家・小園崇文です。

デキるリーダーは歴史に学ぶ!ヨーロッパ史を図太くしぶとく生き抜いた強運な王たちの物語

前回のメルマガでは、「大愚図皇帝フリードリヒ3世が、弟アルブレヒトにウィーンから追放されるも、その弟の急死によって再びウィーンに舞い戻ることが出来たところまでをご紹介しました。

自分よりもはるかに有能な弟アルブレヒトが、これ以上のないタイミングで死去してしまうという強運・悪運ぶりを発揮したフリードリヒ3世。しばらくはまた以前のように「大愚図」ぶりでウィーンに君臨しましたが、激動の時代の波はまた容赦なくフリードリヒ3世に襲い掛かります。

まずは何と言っても、オーストリアのすぐ東隣にまで迫ってきているオスマン・トルコ。戦争の強さはオーストリアはおろか、この時代の他のヨーロッパのどこの国よりも強い。そんなオスマン・トルコに対して、何とかのらりくらりと交わして時を過ごそうとしているのが「大愚図フリードリヒ3世。ですが他国の君主は、こんなフリードリヒ3世みたいな「大愚図」ばかりではありません。もっと君主らしくリーダーシップを発揮して、国を強くしてオスマン・トルコに太刀打ちしよう!という志の高い君主もいます。

その最たる君主がお隣ハンガリーのマティアス。この物語の②でも少しだけ出てきましたが(読んでいない方はバックナンバーをご覧ください)、1458年にフリードリヒ3世をハンガリーから追放してマティアス1世として即位してからは、ルネサンスの先進文化を次々と取り入れたり、若者の外国留学を奨励して国の発展に尽力しました。

またこういう英邁な君主の下で国力も増して、ボヘミアやその隣のモラヴィアなどもハンガリー領に収めながら、オーストリアを圧迫していきます。マティアスの最終目的は打倒・オスマン・トルコ。だがまだトルコに太刀打ちできるまでには、国力が備わらない。だからまずは周辺地域を着実に従わせて、国力を増してからオスマン・トルコと戦う。それまではトルコとの直接対決は避ける。これはフリードリヒ3世に共闘を断られてからこの方針に転じたものです。そのマティアス1世が領土と国力を着実に増しながら、オーストリアに迫ってきました。これはある意味、フリードリヒ3世の自業自得。

さて1477年、フリードリヒ3世62歳の時から、断続的にオーストリアに戦いを仕掛けてきたハンガリーのマティアス1世。1484年、フリードリヒ3世69歳の時、遂にウィーンの包囲を開始。というか本人はその前にヴィーナーノイシュタットという街に避難しているから、その危機を察知する嗅覚たるや呆れるばかりの強さ。ウィーン市民が皇帝に助けを求めるも、戻る素振りは一切なし!しかもマティアス1世に対して、「自分の城の庭にいる動物たちや花々を大切にしてくれるよう」良いんだか悪いんだか、よく分からない懇願をする始末(動物愛護団体や自然愛好家は喜ぶでしょう)

そんなこんなで翌1485年、ウィーン市は降伏して、マティアス1世がウィーンに入城。実質的なオーストリア大公に選出されます。

フリードリヒ3世、御年70歳。一方のマティアス1世はこの時42歳の働き盛り。しかもリードリヒ3世に比べてはるかに英邁と来ている。もう今度こそ、年貢の納め時か…。ウィーンに戻ることもなく、このまま放浪の果てに人生を終えるのか…?

そんな感慨に耽ったかどうかは分かりませんが、しかし物事の順番通りに行けば、どう考えてもフリードリヒ3世の方が先にこの世に別れを告げることになる。10人いたら10人そう考えるのが普通。ですが…。

このフリードリヒ3世という人、とことんまで「強運」でした…。当分の間、オーストリアに君臨することになるだろう、と思われていたマティアス1世が1490年、なんと急死47歳の働き盛り。しかも各地の戦場を駆け回っていて、ほとんど一個所に落ち着くことがなかったためか、後継ぎを残すこともありませんでした。

多くの歴史家も「マティアス1世に後継ぎがいれば、オーストリアはハプスブルク家ではなく、ハンガリーのものになっていた可能性が高い」と言っています。しかし後継ぎは出来なかった。ということは…?

フリードリヒ3世三度ウィーンに帰還!何たる強運!何たる悪運の強さ!マティアス1世も47歳。疫病が頻繁に流行し、医学もまだ未発達なこの時代においては頑張って長生きした方です。しかし上には上がいた。フリードリヒ3世、この時75歳。現代に当てはめれば100歳まで生きたのと同じぐらい、と言ってもよいでしょう。これまで多くの英邁な君主たちがフリードリヒ3世の強運ぶり、しぶとさ、悪運の強さの前に根負けして先に世を去ってきました。この最大の敵と言っても過言ではないマティアス1世もやはり、フリードリヒ3世のしぶとさの前には打ち勝つことが出来ませんでした。

こうして三度、「奇跡的な」ウィーン帰還を果たしたフリードリヒ3世。同じ1490年には、生まれ故郷チロルの領主権もジギスムント公が息子マクシミリアンに譲渡し、ここにオーストリアは完全にハプスブルク家のものに。それを見届けるかのようにして1493年、この時代としては驚異的な78歳の生涯を閉じました。

波乱万丈な人生を送りながらも、最後は「大往生」とも言える強運な人生を送ったフリードリヒ3世。次回はこの強運な人生を支えたものは何だったのか?それを解説したいと思います。

また1週間後に、この続きを配信いたします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!