バックナンバーをご覧になりたい方は、画面右上「カテゴリー」欄の「物語」をクリックしていただければ、読むことが出来ます。

清く図太くしたたかに!

3日で読めるトップが強運であり続けるための『人間学読本』

ヨーロッパ英雄史小説作家・小園崇文です。

デキるリーダーは歴史に学ぶ!ヨーロッパ史を図太くしぶとく生き抜いた強運な王たちの物語

※前回配信の「「史上最低」にして「史上最強」の皇帝:フリードリヒ3世① ~⑤」をお読みなっていない方は、バックナンバーから読めます。

●「複雑怪奇な国」イギリス

2016年、国民投票によりEU離脱を決めたイギリス。このイギリスと言う国の正式名称は、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と言います。日本で使われている「イギリス」という呼び方は戦国~江戸初期に入ってきた、ポルトガル語の「Inglez(イングレス)」が語源で、それにオランダ語の「Engelsch(エンゲルシュ)」が混ざり合ってきて「エゲレス」⇒「イギリス」と、段々に訛ってきたのでは、と言われています。日本では「イギリス」という表記以外に「英国」と書かれたり、稀に「連合王国」と呼ばれたり、まあとにかく「ややこしい」お国であることは間違いありません(笑)

そのややこしさを象徴しているのが、国連では「イギリス」の1議席、オリンピックも「イギリス」の一枠。なのに何でサッカーとラグビーの国際大会では、「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」「北アイルランド」と分かれて出ているのか?ということです。当然の疑問です。ムチャクチャ強引な例えをすれば、「日本」が「北海道・東北」「関東・甲信越」「中部・関西」「中国・四国」「九州・沖縄」に分かれて、サッカーのW杯に出るようなもの。他国の人間からすればこんなにややこしい(一面羨ましい)ことはない。一つの理由としては、FIFA(国際サッカー連盟)よりも前出「4か国」のサッカー協会の方が先に出来たから、ということでその特権が認められています。

他にもっと書くことがあるので、異論反論を覚悟の上で超・乱暴な例えをすると、日本の江戸時代と一緒、と考えていただけると良いかと思います。江戸時代、日本は尾張藩・薩摩藩・会津藩・長州藩など、各藩に殿様がいてそれぞれが「一つの国」のように政治を行っていました。それを北から南まで全国レベルで取り仕切るのが江戸幕府。その江戸幕府の将軍に「征夷大将軍」という承認を与えるのが京都に座す天皇。簡単にまとめると、京都の天皇と江戸の将軍を頭に抱いて、約300の諸藩がとても緩やかに「何となく日本」という形でまとまっていたのが、江戸時代の日本。

それと似たような形で、イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドと「4つの国」があって、それぞれが細かい点は自治をしながら、それを全国的にまとめているのがロンドンの中央政府。その中央政府を取り仕切る首相を任命するのが国王。つまりは一人の国王を頭に抱いて、その下に首相・内閣があって、その下に「4つの国」が緩やかに連合している。だから「連合王国」。細かく見ていくと迷宮に入り込むので、まずはこんな形でザックリとご理解いただければよろしいかと思います。

で、もう一つややこしいことには、この「連合王国」以外に「イギリス連邦」なるものも存在しています。これはかつての「イギリス」の植民地だった国同士を、主に経済的利益を考慮して結成されている、とてもとても緩やかな「連邦」。ですから「イギリス」の国王は、「イギリス」のみならずカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカなど計16か国の「国家元首」でもあるのです。「イギリス」国王として以外に、「カナダ国王」「オーストラリア国王」「ニュージーランド国王」としての地位も掛け持っているのが、「イギリス」国王。ここまで来ると、もう何が何やら…という感を抱く方がほとんどでしょう。

現在(2017年)の国王であるエリザベス2世女王ももちろん、この「イギリス」国王にして、カナダやオーストラリア、ニュージーランド他16か国の国王となります。

で、話しを強引に変えますが(笑)、エリザエス2世というぐらいですから当然1世もいました。という訳で前置きが長くなりましたが、今回扱うのはその「エリザベス1世」になります。

●弱小国イングランド

エリザベス2世と違い、エリザベス1世は16か国もの王ではありませんでした。それどころか、そもそも「イギリス」と呼べるほどにも統合されていませんでした。統治したのはイングランド、それにエリザベスが生まれてすぐの1536年に合同されたウェールズのみ。エリザベス1世が生まれた頃のイングランドはまだまだヨーロッパの中でも弱小国で二流国。北のスコットランドとは争いが絶えず、南には大国フランス。北と南を敵国に挟まれて思うように身動きもできず、しかも資源も人口も少ない。産業と言えば綿織物を当時の先進地帯であるネーデルラント(今のオランダ・ベルギー)に輸出して細々と儲けるぐらいしかなく、この国が数世紀後には「大英帝国」として世界の覇権を握ろうとは、とても想像できませんでした。

そんな弱小国イングランドの女王となったエリザベス1世は、当然ながら周囲の大国との摩擦を極力避けながら、次々と降りかかってくる難題を「のらりくらり」とした態度で相手を焦らしながら根負けするのを待ちました。この焦らし戦法によって多くの交渉相手が根負けしてしまいました。スペインの無敵艦隊を撃破!ということがとてもインパクトが強いので、エリザベス1世というと「何事もテキパキとこなしたキャリアウーマン」のようなイメージを持たれている方が多いようですが、実際はその逆。「イングランドの徳川家康」と言っても良いぐらい、煮ても焼いても食えぬ「狐おばさん」のような性格でした。家康とはほぼ同時代を生きましたから、この両者が顔を合わせていればまさに「狐と狸の化かし合い」で、小説の題材としてとても面白かったと思います。

さて、一般的には「無敵艦隊を撃破」という華々しい出来事に隠れがちな、エリザベス1世の「煮ても焼いても食えない素顔」。それは一体、どのようにして形成されていったのか?女王になるまでにどのような人生を過ごしてきたのか?そしてそこから現代の起業家がくみ取れる「強運のための」ポイントとは何か?それを次回から書いていきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!