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●お見合い、反乱、海賊、暗殺計画…

1500年代後半のヨーロッパは、どこの国も多かれ少なかれ「宗教改革」の影響を受けて、カトリックと新教徒の対立を国内に抱えていました。特に激しかったのが約40年もの間内乱状態が続いたフランスと、この時まだスペインの領地であったネーデルラント。即位後、すぐにお隣のスコットランドとフランスには、新教徒支援のために派兵。スコットランドはやがてメアリー・ステュアートを追放して新教徒勢力が強くなりますが、フランスの方は泥沼化。

そうこうしているうちに今度は、ネーデルラントでスペインの統治に反対する反乱が激化。これはフェリペ2世が宗教に寛容な態度を見せず、タカ派の将軍を派遣して徹底的に弾圧する手段に訴えたため。スペインは本国でも異端弾圧がヨーロッパで最も激しく、そのため新教徒からユダヤ人からみんな亡命。彼らが最も押しかけた亡命先が、海を隔てたイングランド。やがてはアメリカ新大陸。イングランドには「ユグノー」と呼ばれたフランスの新教徒も多く亡命します。亡命してきた新教徒たちには有能な経済人も多く、これがためにやがてイングランドは経済力を増し「大英帝国」へ発展。その後のアメリカも同じ。一方、ユダヤ人など異端に逃げられたスペインはやがて衰退。信仰を含め、人間には色々な考えの持ち主がいます。出来得る限り、大らかに寛容でいた方が多くの人間を取り込むことが出来ます。

それはそれとしてネーデルラント。当時すでにヨーロッパの経済の中心地で、イングランドにとっては、最大の産業である羊毛の一番の輸出先。そのお得意先がスペインによる弾圧とそれへの抵抗で徐々にきな臭くなってきている。これでは自国の貿易も大打撃。そこでエリザベス1世が採った手は、「バレないようにこっそりと資金援助」。まだイングランドには、スペインと面と向かって張り合えるだけの国力がありませんでしたから、裏技を使ってネーデルラントの新教徒を支援します。1568年に本格化するネーデルラントの紛争。その後80年間続き、最終的には1648年にその一部が「オランダ」として独立。さらに遅れて19世紀の1830年に、残りの地域が「ベルギー」として独立します。

さらに同じ1568年。ジョン・ホーキンズという元海賊上がりの船長に率いられた船体が、新大陸のスペイン植民地でスペインの目を盗んで闇貿易で莫大な利益を上げます。その帰路、船の修理のために立ち寄ったメキシコのサン・ホアン・デ・ウルアという港で現地のスペイン軍と一戦交えて惨敗。この時に乗組員の一人だったフランシス・ドレイクというこれまた海賊上がりの男が、「打倒スペイン」の執念をこの後何年も持ち続け、やがてはスペインに痛い思いをさせます。

さらにさらに翌1569年には、カトリック信者の多い北部の貴族がメアリー・ステュアートを担いでエリザベス1世を王位から引きずり降ろそうと反乱を計画。結局失敗に終わるものの、この反乱がきっかけでローマ教皇はエリザベス1世を破門。カトリック教会からは完全な爪弾き者になりました。この後も何度となく「エリザベス暗殺計画」は練られ、その度にメアリー・ステュアートは担ぎあげられます。

とまあ、こんな具合にまるでメアリー・ステュアートが来てからというもの、厄介ごとが次から次へとエリザベス1世に降りかかります。しかも当のメアリー・ステュアートはエリザベス1世の苦労も知らずに、自分の所に来る人来る人に「私の方が女王にふさわしい」と好き勝手なことを言っている。

アランソン公フランソワ.jpg

フランソワ

そんなことが続いた1574年、エリザベス1世にまたも結婚話が持ち上がります。花婿候補はアランソン公爵フランソワ。この時のフランス国王アンリ3世の弟。この時の二人の年の差22歳。もちろん結婚話が持ち上がるまで顔を合わせたこともなく、共通の敵であるスペインへ対抗するための政略結婚以外の何物でもない。この時の西ヨーロッパはスペイン・フランス・イングランドの「ヨーロッパ版三国志」の様相を呈しています。

フランス王の母カトリーヌ・ド・メディシスがスペインへの対抗上、なりふり構わず考え出した政略結婚。しかしこの時は両国の側近たちに反対意見が強く、一旦は破談となります。いくら何でも「22歳も離れていては…」というところ。それが5年も経った1579年、再びこの結婚が蒸し返されることに。原因はやはりスペインへの対抗上。フランスは相変わらず宗教内乱に明け暮れ、イングランドも一時は小康を保ったスペインとの関係がネーデルラントへの隠れ支援が徐々にバレてきて悪化。そのために両国が結びつく。エリザベス1世もそろそろ年貢の納め時。いい加減結婚しないと本当に一生独身で過ごすことになろう。そんなことから始まった結婚交渉。

この時は、年下のフランソワが思いのほか積極的にエリザベス1世に猛烈アタックをかけます。最初に使者を派遣してエリザベス1世の心中を探る。相も変わらずエリザベス1世はのらりくらり。フランソワの肖像画を見て「結構可愛いわね」と満更でもない態度を見せたかと思えば、すぐに手のひらを返すように「でもやっぱり会ったこともないし、歳も離れているし…」と焦らしの態度に。

そんな女王の態度に居ても立っても居られなくなったか、フランソワはお忍びでイングランドを訪問し、エリザベス1世に直接プロポーズ。この時フランソワ24歳。エリザベス1世46歳。若者の行動力とひたむきさに心打たれたか。フランソワに「私の蛙ちゃん」というあだ名を付けるぐらいに打ち解けて、「遂に結婚か?」と周囲を驚かせたものです。「女王の美しさで私の心は満たされている」と言ったか言わないか、フランソワはイングランドを去る最後の夜はため息ばかりついていたようで。一方のエリザベス1世もフランソワが帰った後は「蛙ちゃん」のブローチを身に付け、プレゼントされた手袋を愛おしそうに抱きしめて…。

エリザベス1世が生涯で最も結婚に気持ちが傾いたお相手だったようですが、結局この話も成就ならず。フランス側は乗り気でしたが、イングランド側に「もし女王が先に死んだら、フランスに乗っ取られてしまう」と反対意見が強く、見送られることになりました。しかし皮肉なことにこの5年後の1584年、22歳も若いフランソワの方が病死。若干29歳。エリザベス1世、その報に接して喪に服したと言いますから、「若い彼」への気持ちは満更でもなかったのでしょう。エリザベス1世にとって事実上、これが最後の結婚話となります。

国内外の激動の合間に、ちょっとしたロマンスも味わったエリザベス1世ですが、この「蛙ちゃん」フランソワの死を合図にするかのように、いよいよその人生で最大のクライマックスとなる事件がやってきます。

 

続きは次回に。また1週間後の配信です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

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