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●宿敵の死、そして天下分け目の大一番

これまでのお見合い相手の中で、最も結婚に近づいたフランソワの死により、年齢的にももう結婚の目が限りなくゼロに近づいたエリザベス1世。一時は喪に服して放心状態になるぐらいに入れ込んでいたようですが、しかしイングランドを取り巻く情勢はいつまでも余韻に浸っていることを許してくれません。

まずは海挟んで対岸のネーデルラント。スペインの支配に対する新教徒軍の反乱がもう10年以上も続いていますが、超大国スペインが送り込んでくる大軍を前に徐々に形勢不利になり、新教徒軍は壊滅寸前の危機。事ここに至ってエリザベス1世、遂に資金援助のみではなく援軍の派遣を決意。これまでスペインとの直接対決は極力避けてきたエリザベス1世ですが、ここでネーデルラントの新教徒軍が負けてしまうのは、イングランドにとっても重大な脅威。何せイングランドと大陸の間に横たわるドーバー海峡。一番短い所で34km。東京・横浜間とほぼ同じ距離。ロンドン・アムステルダム間も357km。東京・京都間より少し短いぐらい。そんな近くにスペインの大軍が居座っているのでは、安心して眠ることも出来ません。

で、このネーデルラント派遣軍の総司令官を就任したのが、ロバート・ダドリー卿。エリザベス1世にとっての生涯最愛の男。ロバート・ダドリー卿、この時は既にほかの女性と結婚しており、また頭に白いものも増え、お腹も出てきて、若い頃宮廷の女性陣にため息をつかせた面影はありませんでした。ですがエリザベス1世にとっては今でも最愛の男性にして最も気心知れた人。彼なら自分の意をくんで上手くやるだろう、との思いから大役を仰せつけます。しかしこのダドリー卿。代々が「反逆者の家系」で、野心だけはあるものの肝心の実力はというと甚だ疑問。

はるか昔、メアリー1世時代にもやはり大陸での戦争に派遣されて、カレーという要衝をフランスに奪われています。今回も女王と政府の指示を無視して勝手をやって苦戦を強いられ、さらに勝手に「ネーデルラント総督」にまで就任したものだから、さすがのエリザベス1世も激怒。すぐに本国帰還命令を出します。このダドリー卿、宮廷での陰謀やら細かい手練手管には長けていたものの、戦場で大軍を統率する器ではなかったようです。エリザベス1世、痛恨の人事。

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メアリー・ステュアート

ネーデルラントでの戦いと並行して行われた、もう一つの戦いは相変わらず後を絶たない「エリザベス暗殺計画」。その頭目に担がれるのは決まってメアリー・ステュアート。側近ウォルシンガムが張り巡らせたスパイ網によって、どうにか未然に防いでいたものの、このままではいつまで経ってもいたちごっこ。エリザベス1世の側近たちは、何か決定的な証拠をつかんで、メアリー・ステュアートを国外退去にするか、最悪の場合は処刑に、ということを考えるようになります。

そして1586年、最大の陰謀が発覚。スペイン軍がイングランドに侵攻、それと同時にイングランド国内のカトリック勢力も一斉蜂起してメアリー・ステュアートを女王へ。エリザベス1世を引きずり降ろしてイングランドを再びカトリックの国へ戻す、という恐ろしいもの。しかもその首謀者はこれまでのようにスペインや外国の手先ではなく、イングランドの裕福な貴族の子弟だったものだから女王も政府要人も大ショック!まるで満ち足りた生活を送る金持ちの子弟が、さらなる刺激を求めて外国のテロ組織にのんきに入るようなもの。もうこうなってはメアリー・ステュアートが居るだけでいつまでも暗殺計画は続くから、と側近たちは「メアリー・ステュアートを死刑に!」と主張。だがエリザベス1世は、追放されたとはいえ外国の君主を死刑にすることによる、諸外国の反発を恐れてまたもや「のらりくらり」と先延ばし。しかし追い打ちをかけるようにメアリー・ステュアートが事細かに支持を与えている手紙までが証拠として押収され、さすがにこれでジ・エンド。大逆罪により、メアリー・ステュアートの死刑が決まります。

それでもエリザベス1世は、なおも諸外国の反発を恐れて死刑をそんなに急がず、出来るだけ先延ばしするように指示。こうやって先延ばしして時間を稼いでいるうちに、メアリー・ステュアートが病死でもしてくれればまた体面が保てる、と考えたようです。ですが女王たる者も国の方には従わねばならず、遂に1587年2月7日、メアリー・ステュアート処刑。スコットランドから亡命してきてから19年間の幽閉の後、遂に外の正解を見ることなく死を迎えることになりました。最後にエリザベス1世に遺した言葉は「あなたはいつの日か私が流した血を思い起こす」。この言葉はエリザベス1世の死の時に、重い意味を持ってきます。

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フェリペ2世

カトリックの君主であるメアリー・ステュアートを処刑したことに、周辺国は当然ながら猛反発。そして最も過激に反応してきたのがスペイン。元々フェリペ2世は、イングランドをその所領に入れたい野心満々。そのために一時は、亡きメアリー1世を通じて義理の兄妹になるエリザベス1世にすら求婚したほどです。ですがエリザベス1世が思いのほか厄介な女で、思い通りに操るのは難しいと判断すると、今度は一点武力で征服する方針に変更します。そしてそのためのお誂え向きのきっかけとなったのが「メアリー・ステュアート処刑」。「外国の君主を処刑するとは神をも恐れぬ所業」とか何とか大義名分を掲げて、いわゆる「無敵艦隊」をイングランドに向けて派遣します。いつの時代も、大国が言うことを聞かない小国を攻める理由は同じようなもの。

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そして1588年、有名な「アルマダの海戦」と相成ります。ここではその戦闘経過を詳しく書くことはしません。結果はイングランドが強かったというよりも、元寇と一緒で「(神)風」、暴風雨に恵まれたこともあり、無敵艦隊が途中で撤退。戦闘での被害よりも撤退中に嵐に遭って受けた被害の方が甚大でした。さもイングランドが圧勝したようなイメージを持たれがちですが、辛うじて判定勝ちと言ったところです。ですがひとまず、スペインの侵攻は食い止めました。この後もスペインとの関係は緊張が続きますが、ひとまず小康状態を保ちます。

続きは次回に。また1週間後の配信です。

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