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カトリーヌ・ド・メディシス

●呪われた結婚式

自身はイタリア、ローマ教皇のお膝元で生まれたカトリック信者ではありますが、王太后カトリーヌの一番の目的は王家の安泰。ユグノーはもちろん、カトリック強硬派であるギーズ家が我が子である国王シャルル9世をの王権を脅かすことすら許さない。それを守るためなら悪魔とだって手を握りかねない。カトリーヌ・ド・メディシスとはそういう女性でした。

で、その百戦錬磨の王太后カトリーヌが考え出した策というのが…。アンリと我が娘マルグリートの結婚。はるか昔、2歳のアンリが初めて王宮に連れて来られて、時の国王アンリ2世に抱きかかえられながら「わが娘の婿になるか?」「うん」と答えた、他愛もない会話。カトリーヌがそれを覚えていたかどうかは定かではありませんが、その妙手を打ち出しました。ユグノーに信仰の自由を認めればカトリック側から抗議。その逆をやればユグノーが大騒ぎ。戦闘と停戦を繰り返しながら、双方の対立が止む気配はなし。これをとにもかくにも宥めるには、国王の妹とユグノーのプリンス、この二人を結婚させれば双方の和解の象徴としては打ってつけ。しかも二人は同年齢。王太后カトリーヌ、王権の安定のためなら何だってやります。政敵の裏情報を掴んで、意のままに操るために側近の若い侍女たちに「遊撃隊」なるものを組織させて送り込みます。若い侍女、と聞いて勘の良い方はお察しでしょうが、早い話がハニートラップ、色仕掛け。今も昔も男相手に有効な手はこういうものですか…。と、これぐらいのことは平気でやる人ですから、アンリや自分の子供たち、若い連中を政治の駒にするぐらい何てことないことです。

一般的に結婚をする場合、最大の壁となるのが花嫁の父。その次は花婿の母。マルグリートの父アンリ2世はすでに死去。ですので最大の関門となったのが、アンリの母ジャンヌ女王。ジャンヌは双方の信仰の違いを盾に、最初は難色。どうしてもと言うならマルグリートをユグノーへ改宗させることを要求。しかしマルグリートがこれを拒否。しばらく王太后カトリーヌとジャンヌ女王との間で堂々巡りが続くも、結局は結婚式をカトリックと新教のスタイルを半々ずつ取り入れてやればいい、という玉虫色の決着。フランス人は時に、こういうウルトラCの解決策を編み出します。お隣の神聖ローマ帝国・ハプスブルク家に対抗するために異教徒イスラム教徒のオスマン・トルコ帝国と同盟を結んだり、後年の「三十年戦争」と呼ばれる宗教戦争では、やはりハプスブルク家に対抗するために新教徒側に味方したりと、いざとなれば信仰などかなぐり捨てて現実的な利益を取る図太さがあります。

カトリック式と新教式、半々でそれぞれ式を挙げるような形での妥協案で、やっとジャンヌ女王を説得。1572年5月、式のためにアンリがナヴァールを起ってパリに向かうことになります。ですがアンリがパリに向かう途中の、同年6月に母ジャンヌ女王が急死。あまりのタイミングの良さに王太后カトリーヌ陣営による毒殺説も噂されましたが、結局真相は闇の中。これによりアンリはナヴァール国王の地位を引き継ぎます。少年の頃より厳しくも大きな愛情を持って育ててくれた愛する母の死に立ち会えず。アンリの心境はいかばかりか。そして真相は闇の中ながらも、「母殺し」の疑いが極めて濃い王太后カトリーヌへの複雑な感情。そのような諸々の感情を抱えながら、アンリはマルグリートとの「政略結婚」に臨みます。

マルグリート

二人の結婚式の日は、1572年8月18日。この結婚式を一目見ようと、フランス各地からユグノー教徒が馳せ参じてきていました。しかもパリ郊外には、ユグノーの旗手となったアンリにもしものことがあってはと、勇将コリニー提督の義弟が率いる約4000のユグノー軍。この軍隊の存在がまた、両者の間の緊張感を一層高めました。このコリニー提督はフランソワ1世時代からの歴戦の勇士。神聖ローマ帝国との間の、イタリアの支配権を巡った「イタリア戦争」以来数多くの戦場を経験し、ユグノー戦争開始後も各地でカトリック側を散々手こずらせてきた剛の者。その勇者ぶりには敵味方関係なく尊敬の念を抱く者も多く、国王シャルル9世も実の父のように慕っていたほどです。ですが1560年代から激化した、お隣ネーデルラント(現オランダ・ベルギー)でのプロテスタントによる対スペイン反乱への支援を執拗に申し出るなど、王太后カトリーヌはじめ宮廷貴族の中には、コリニー提督を疎ましく思う者も少なからずいました。軍人としては少し出過ぎた真似をし過ぎた、というべきか。

そんな緊張感の漂う中、アンリとマルグリートの結婚式はひとまず終了。この後1週間ほどは、とにもかくにも祝宴や舞踏会などのお祝いムード一色に包まれるはずでした…。が、結婚式のわずか4日後の8月22日。コリニー提督が何者かに狙撃される事件が発生。提督を父と慕うシャルル9世もお見舞いに駆け付け、犯人逮捕を約束します。コリニー提督を狙った犯人は、提督を疎ましく思っている王太后カトリーヌとも、激しく対立する貴族ギーズ公アンリとも、そのギーズ公を裏から手引きするスペイン国王フェリペ2世が黒幕とも言われて、諸説渦巻いており、こちらもまた真相は闇中。しかしこの22日から翌23日にかけて、カトリーヌが主導する秘密会議が開かれ、そこで大よそ次のような恐るべき陰謀が練られたようです。「コリニーとその他のユグノー貴族を、この際一網打尽にしてしまおう…」。ですがこんな大事、いくらお飾りとは言え国王シャルル9世が認めなければ、実施されません。この時のシャルル9世、父とも慕うコリニー提督を襲撃することには気乗り薄だったようです。ですが頭の上がらない母カトリーヌにネチネチと説得され、他の貴族たちはお飾りなのをいいことに王を王とも思わず、やいのやいのと催促。おまけにユグノーの貴族たちからは提督狙撃の犯人逮捕を口うるさく言われ、四方八方から突き上げられる始末。お坊ちゃま育ちでややお頭が弱かったシャルル9世にはこのストレス、荷が重すぎたか。ついに錯乱状態を起こし叫んだ言葉が…、「皆殺しだ!」。王のこの一言で、史上稀に見る狂乱の幕が切って落とされました。

サン・バルテルミの虐殺

翌8月24日の未明、ギーズ公アンリとその手下数人がコリニー提督に不意討ちをかけ殺害。その他にも、ユグノーの有力貴族が次々と不意を襲われて、命を落とします。それでも指導者数人を襲えばそれで十分、というのが当初の目論見であったようですが、人間の集団は一度興奮状態に陥ると、当人たちですら歯止めの利かない、常軌を逸した集団錯乱状態に陥っていくものです。この襲撃がきっかけとなって、パリの民兵と一般民衆にも狂乱状態が伝播し、次々とユグノーへの襲撃を開始。数では圧倒的に不利なユグノー教徒は太刀打ちできず、パリ市内はそこかしこにユグノー教徒の死体が打ち捨てられる惨状。狂乱はパリだけにとどまらず地方都市に伝播し、8月30日までの約1週間、フランスは殺戮の大地に。正確な数字には諸説あるものの、使者は1万人は下らず、多い説では7万人とも言われています。8月24日がキリスト教の祝日「聖バルテルミの日」であったことから、「サン・バルテルミの虐殺」と呼ばれるこの事件。はるか後年の西暦2000年、時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が「過去1000年のキリスト者の過ち」として、十字軍の侵略、異端尋問、黒人奴隷売買などと並んで謝罪するほどの大事件となりました。

この大虐殺事件の後、ユグノー勢力は一時的に後退。虐殺のショックのあまり、カトリックに改宗する人も多数。その一方でますますカトリックとの対決姿勢を鮮明にする勢力もあり、同時に「信仰の違いを受け入れて平和共存を」という現実主義的な考えも出てきます。「これ以上の流血はもうたくさん!」こういう考えが出て来ても、不思議ではありません。それぐらいにこの「サン・バルテルミの虐殺」事件が与えた衝撃は大きなものでした…。

さて、こんな混沌とした状況下、アンリはどのようにしていたか?と言いますと…。命は何とか助けられましたが、いとこのコンデ公アンリ(またもやアンリ(笑))と一緒にカトリックへの改宗を強制されます。子供の時は母ジャンヌの影響でユグノー。宮廷生活でカトリックへ。ナヴァールに戻ってまたユグノー。そしてまたカトリック…。3度目の改宗。しかし今度の改宗は、本当に身の危険を案じ、同時に将来への再起を期すため。ここで改宗していなかったら、本当に命を落としていたかもしれない。そして未来の国王「アンリ4世」は誕生しなかったかもしれない。

誤解を恐れずに言えば、信仰、それは命より大事なものでしょうか?それにこだわってあたら命を落とすよりも、時にかなぐり捨てて再起を期すことの方が、よほど勇気が要る行為ではないでしょうか。現代のように改宗したければいつでもできる訳ではなく、信仰が本当に命がけだった時代の改宗ですから、なおさら大きな意味を持ってくると思うのです。

と、「宗教」は時に人を狂乱に導くことがあります。理性を失わせることがあります。この時代は特にそんな時代でした。そんな「狂った」時代に、宗教をある意味で「テキトー」に変えながら、生き残っていくアンリ。まずは「生き残る」ことに意味がある時代でした。さてこのように、3度目の改宗をしたアンリに待ち受けている生活は…。

続きは次回に。また1週間後の配信です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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