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アンリ4世

●見えてきた「国王」の位

1580年前後、アンリはユグノー陣営の主導権を確実なものとし、その一方で国王アンリ3世や王太后カトリーヌとも手紙のやり取りを通じながら、つかず離れずの関係を保ちます。敵はカトリック陣営と言っても、現実派のアンリ3世・カトリーヌ・ド・メディシスと強硬派のギーズ公アンリとでは、微妙に足並みに乱れがあり、それを上手く突きながら、どうにか膠着状況の打開を図ろうというもの。この時、国王とのやり取りを絶やさなかったことが、後になって大きく物を言ってきます。

一方で妻のマルグリートとは、相も変わらず冷え切った関係のまま。そんなさなかの1582年、アンリの前にディアーヌ・アンドワン、通称コリザンドと呼ばれる女性が現れます。ナヴァール王国の貴族の娘。父のポールは1562年、ユグノー戦争開戦間もない頃にアンリの父アントワーヌと戦場を共にして戦死。その後、ナヴァール王国の貴族の息子と結婚するも、その夫は1580年にコリザンドと二人の子供を残して戦死。アンリより一つ年下の26歳にして未亡人になったコリザンドを、アンリと引き合わせたのはここまで全くと言って良いほど出番のなかったアンリの妹カトリーヌ。コリザンドはアンリ兄妹と違ってカトリックとは言え、その亡き夫はアンリの宮廷からの脱走を手助けした間柄。そんな縁もあって、またマルグリートとの不仲も周知していた妹が、気を利かせて兄に引き合わせたのか。それとも兄アンリの「ふしだらな」までの女好きを見るに見かねた妹カトリーヌが、いい加減性根を入れ替えるように差しむ向けたのか。この妹カトリーヌは亡き母ジャンヌの生き写しのようなガチガチの超・真面目ユグノー信者。おそらくは後者の理由でコリザンドを兄アンリに引き合わせたのでしょうが、真相は闇の中。

ともあれ貴族生まれで教養もあるコリザンドとの関係は、無類の女好きであるアンリにしては珍しく「プラトニック」な関係に近いものだったようです。何もなかった、ということではないようですが…(笑)。歳は一つ下ながら、教養の高いコリザンドは、しょっちゅう戦場を駆け巡っているアンリよりは精神年齢が上だったらしく、アンリのことを「私のいい子」と呼んで、だいぶ手なずけたようです。アンリの方も戦場に出ていない時は、暇を見つけてはコリザンドが暮らす館に出かけ、戦場に出ている時は手柄話から胸の内の不安までを書き連ねた手紙を絶やさず送るように。時が進むにつれて二人の関係は、「愛人」というよりも「親子」「王とその顧問」「先生と生徒」のような関係の方が強くなり、アンリにとっては、これまでの「愛人」たちとは違う何かを感じさせる間柄に。

この関係を危惧したのがアンリの側近たち。これまでの「夜遊び」のような愛人関係であれば、「またいつもの…」とフランス人らしい(?)大らかさでやり過ごしたのでしょうが、「ひょっとしたらアンリをカトリックに改宗させるつもりでは…?」と疑わせるような言動も目立ち始め、二人を段々と引き離し始めます。それにつれて二人の関係も徐々に「恋」の感情が薄れてきたようで、そうこうしているうちに「別の恋」に目が移ったアンリは、段々とコリザンドの元を訪れることが少なくなり、何となく自然消滅…。まあ、これもフランス人らしいのでしょうか。

アンリがそんな恋に戦場にと大忙しの間に、王室ではその存続が危ぶまれる緊急事態。1584年、アンリ3世の弟であるアランソン公フランソワが結核のため、29歳で死去。これにより亡きアンリ2世カトリーヌ・ド・メディシスとの間に生まれた男子はアンリ3世だけに。このカトリーヌ・ド・メディシスの男子の子供たち。肝っ玉母さんに全てを吸い取られてしまったのか、みんながみんな病弱だったり、気弱だったり、お頭が弱かったりと、まあ一人として激動の時代の国王が務まるような器の持ち主はなし。このフランソワも国王の弟という立場なのに、母カトリーヌが自分に目を向けないからと、アンリの脱走に手を貸したり、勝手にユグノー陣営に走ったり、そうかと思えばまた戻ったり、イングランド女王エリザベスに求婚して弄ばれたり…。と、お坊ちゃま丸出しの好き勝手な行動ばかり。国王になっていたとしても、どれだけの働きが出来たかは疑問なのですが…。

カトリーヌ・ド・メディシス

でも「サリカ法」という、国王には男子しか認めないという法があるフランスでは、男子の後継ぎがいないということは、王室の存続に関わる緊急事態。たとえ王太后カトリーヌがお腹を痛めて産んだ子とは言え、そしてどんなに優秀とは言え、マルグリートは国王にはなれないのです。それでも現国王アンリ3世が後継ぎを、それも男子の後継ぎをしっかりと遺してくれれば問題はないのです。ですが…。その肝心要のアンリ3世に子供がいない!そもそも結婚すらしていない!同性愛説もまことしやかに流れたこともあるようですが、どうもそれはないようです(それどころか両刀説も…)。激動の時代ゆえに、家格の釣り合う適当な結婚相手が見つからなかったか?そんなことより、この先もアンリ3世が結婚せず、従って後継ぎも遺さずに死ぬようなことになればヴァロワ朝は断絶。そして王位継承者は…?

アンリ3世

ここで遂に、アンリが次の筆頭王位継承者として、脚光を浴びることになりました、正直、アンリもこの段階までは「自分がフランス国王に」などということは、考えなかったかもしれません。何せアンリが国王になるには、王太后カトリーヌの息子である国王が一人の後継ぎも遺さず、ということが条件になるのですから。3人も息子がいれば誰か一人ぐらいは子供を遺すだろう、と考えるのが普通。それがフランソワ2世・シャルル9世は若くして死に、そしてアンリ3世までもが後継ぎを遺さずに生涯を終える可能性が出てきた。これを「天の配剤」と言わずして何と言おう。アンリの側近たちがコリザンドをアンリから引き離そうとしたのも、このフランソワの死によってアンリが国王となる芽が俄かに現実味を帯びてきたから、余計なことを吹き込む女は遠ざけておこう、ということだったのかもしれません。

しかし、「ユグノーをフランス国王にしてたまるか!」と息巻く勢力もあります。それがギーズ公アンリを首領とするカトリック強硬派の面々。1584年の大みそかに「ジョワンヴィル協定」なるものを隣国のスペイン王フェリペ2世も巻き込む形で決議。内容は単純明快。「異端者(ユグノー)の王は認めない」というもの。さらには実力でもアンリの国王即位を阻むために、「カトリック同盟」を復活。しかもこれにも、スペイン国王が資金援助。この当時の超大国スペインがバックに付くことで、フランスの王位継承問題は一気に国際問題になってきました。そしてここから、フランス王位を巡る争いは、「フランス版三国志」とも言える様相を呈してくることになります。

続きは次回に。また1週間後の配信です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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