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●三人の「アンリ」

1584年にアンリ3世の弟フランソワが死去して、アンリが筆頭王位継承者となった時点から、フランス史上では「三アンリの闘い」と呼ばれる事態になります。偶然にも同じく国の同じ時代に、同じ「アンリ」の名前に生まれた三人の男。しかも三人共にはるか昔、シャルル9世の国内巡幸に帯同し、学んだり遊んだり喧嘩したりしながら、少年時代を共にした仲。そんな三人が何の因果の巡り合わせか、フランス王位を巡って争うことになる。基本的に他人事だからこんなことが言えますが、二人の一騎討ちよりも三すくみの争いの方が面白い。「三国志演義」が時代を超えて人気があるのも、魏・呉・蜀の三つ巴の争いに、曹操・劉備・孫権という個性的なリーダーたちがいて、手を組んだり裏切ったりしながら天下の覇権を争うのが面白いからでしょう。スポーツでも2チームのマッチレースよりも三強の争いになった方が面白いのです。個人的な意見ではありますが…。

それはさておき、ここで同じ「アンリ」の名前がこれまで以上に何度も出てきますので、混乱を避けるために今一度、整理しておきましょう。

まずは一人目の「アンリ」は、言わずと知れた本編の主人公である「アンリ」。後にフランス王「アンリ4世」として即位しますが、この時点ではまだ生国であるナヴァール王国の王でしかないため、「ナヴァール公アンリ」または「ナヴァール公」と呼ばれています。本編ではこれまで通り「アンリ」と呼んでいきます。これまで再三再四書いてきた通り、戦闘には強い。情勢判断力もある。いざ!となったらそれまでのこだわりなんか捨てて、スパッと切り替えられる決断力もある。ここまで既に4度の改宗。信仰に頑なにこだわるよりも現実を見て生き残る、良い意味での「テキトーさ」。それでも味方から見捨てられない不思議な人間的魅力。秀吉のような「人ったらし」。ただし「女ったらし」でもある(笑)

二人目はこの時点でのフランス国王「アンリ3世」。王太后カトリーヌ・ド・メディシスの一番のお気に入り。ですが、若くして死んだ兄たちと一緒で激動の時代の国王としては、イマイチ線が細く頼りない。一時ポーランド国王として「外出」していましたが、兄シャルル9世の死と共に、そそくさと逃げるように帰国。ポーランド側では「勝手に出て行った国王なんてもう知らん!」と当然のように除名処分ですが、本人はなおも「ポーランド国王」も語っています。調子が良いにも程があるでしょ。そんなことよりも、(ホモ疑惑もあり)後継ぎを遺していないが最大の弱点。このまま行けばヴァロワ朝の断絶は必至。母である王太后カトリーヌ・ド・メディシスは、今度はどのような奇策を打ってくるか。

三人目はギーズ公アンリ。ドイツとの国境に近いロレーヌ地方を基盤とする、フランス最有力の貴族。ガチガチのカトリック信者。1562年ヴァシーの虐殺、1572年サン・バルテルミの虐殺など、この時代にフランスが大混乱に陥っている、最大の元凶と言ってもいいほど。しかも「ジョワンヴィル協定」以後は、隣国スペインのフェリペ2世より物心両面において支持を受け、事実上スペインの傀儡勢力に。ギーズ公アンリ・ギーズ家が天下を取った日には、フランスはスペインの衛生国になることが必至。そうするとヨーロッパ大陸の情勢は、スペイン・フランス・ドイツ(神聖ローマ帝国)・オーストリア・ローマ教皇領を覗いたイタリアと、ほぼハプスブルク家の勢力下に。フェリペ2世の狙いはまさにそれ。

このように、名前は同じ「アンリ」ですが、置かれた立場も考え方も違う男たちが王位を巡って争う「三アンリの闘い」と呼ばれる状況に突入したフランス。その火蓋は1585年3月、もはや「第8次」となるユグノー戦争として切って落とされました。まず初めに仕掛けたのが、勢力では圧倒的に優勢なギーズ公アンリ。パリを起点としてヴェルダン、トゥール、オルレアンなどの北部都市を占拠。更には巧妙なプロパガンダも功を奏して、特にパリ市民の多くがアンリ3世よりもギーズ公アンリを熱狂的に支持。フランスの混乱をなるべく平和的に解決しようというアンリ3世の態度は、多くのパリ市民には「弱腰」と見られ、勇ましい発言と強硬手段を採るギーズ公アンリに靡いたのでした。ギーズ公アンリはアンリ3世がもはや跡継ぎを遺せないことを見越して、アンリの伯父に当たるブルボン枢機卿アントワーヌを勝手に王位継承者にしつらえます。このアントワーヌ、ハッキリ言って頭も悪く人望もなく、とても国王が務まる器でない。しかも61歳と高齢。それがギーズ公アンリにとっては好都合。こいつはどうせすぐ死ぬ。その後は自分が王位に…、という野心が見え見え。いきなり自分が王位に就くのも露骨なので、ワンポイントで老いぼれを挟んでおいて、その後に自分が就くという魂胆。しかも背後にはスペイン王フェリペ2世がいる。自分が負けるわけがない。

一方、事実上フェリペ2世の、そしてスペインの「スパイ」のような働きをしているギーズ公アンリに対する警戒心を解けないアンリ3世は、密かにアンリに密使を送って「カトリックに改宗せよ。そうすればそなたを時期国王として認める」と持ち掛けるも、その前に王太后カトリーヌの圧力に屈して、自分が「カトリック同盟」の盟主として祭り上げられます。王太后カトリーヌ、事ここに至ってはもはやギーズ公アンリと組んで、せめて自分が生きている間だけでも王家の安泰を図ることしか頭にない。まさか自分がお腹を痛めて産んだ子たちが、揃いも揃って無能で、しかも誰一人として後継ぎを遺さないとは、とんだ計算違いだったことでしょう。そんな母に抗うことも出来ず、言うがままに「カトリック同盟」の盟主に祭り上げられて、「ヌムール協定」という妥協を強いられます。フランス国内でのユグノー信仰は完全に禁止。改宗するか亡命するかのどちらかを選ばせる。更にはただでさえ戦乱続きで苦しい国の財政から、ギーズ公アンリが勝手に集めたスイス人やドイツ人傭兵の費用を払わされる。アンリ3世にとっては踏んだり蹴ったりの内容。この内容を「七月王令」の発布によって、より徹底させるように強いられます。アンリ3世、これによってギーズ公アンリへの恨みがますます募ることに。

これにより窮地に追い込まれる形になったアンリ。アンリ3世からの使者、更には王太后カトリーヌ自ら乗り込んでの融和の申し出に、受け入れるか?それとも徹底抗戦か?散々思案した末に出した結論は後者、すなわち「徹底抗戦」。ここでまた改宗したって、結局はギーズ公アンリの風下に立たされるだけ。主導権を握れないことは目に見えている。しかもこんな形での妥協・改宗では、臣下も自分から離れていく。だったらここは男を見せて大勝負。幸いに今は孤立無援ではない。ギーズ公アンリに不満を持つ穏健派カトリックも味方に付いてくれているし、海外ではイングランド・デンマーク・神聖ローマ帝国内の新教国も資金と兵力の提供を申し出てくれている。更にはローマ教皇が発した「アンリの王位継承権は認めない」という教書が、穏健派カトリックの怒りを買う結果に。フランスには「宗教だろうと政治だろうと、フランスのことはフランス人が決める」という考えがとても根強いのです。同じカトリック信者でありながらギーズ公アンリに対して不満を持つ勢力があるのも、ギーズ公が「スペインの手先」になっているから。今も昔も鼻持ちならない所もありますが、とても誇り高い国民です。そこは見習うべきでしょう。

そうして事実上はギーズ公アンリ率いる「カトリック同盟」が優勢ながらも、決定的な一撃をユグノー陣営に刺すことが出来ずに一進一退の状況が続く1587年10月。クトラという場所で行われた戦闘において、ユグノー陣営が大勝利を収めます。そしてアンリは敵側の死者を丁重に弔い、また捕虜・負傷者に対しても礼を尽くし、カトリック側の市民の心象を良くすることに努めます。この勝利で選挙区の流れも変わるかと思いきや、その1か月後にはまたもやカトリック同盟軍に敗退。膠着状態が続き、今やフランス国内だけではなく、スペイン・イングランド・ドイツといった諸外国の思惑も絡み合っての、複雑な「国際戦争」の様相を呈してきた「ユグノー戦争」。その膠着状態が意外な形で動き始めます。

続きは次回に。また1週間後の配信です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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