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アンリ4世

●遂に終わった!

改宗の一大決心をしたアンリ4世は1593年7月25日、サンドニの教会で改宗の儀式を行います。その儀式を終えたアンリ4世に対して、群衆からは大歓声。この一世一代の改宗の儀式が分岐点となって、「カトリック同盟」の貴族たちの中からアンリ4世に帰順する者が出始め、「同盟」は徐々に瓦解し始めます。それでもまだ頑固な強硬派もおり、内戦終了とまでは行かず。一番肝心なパリ、そして国王の成聖式(戴冠式)が行われるランスがまだ「カトリック同盟」側の支配下にあるため、国王としては最後の「画竜点睛」を欠いた状態。

それでもどこかでやらなければ、いつまで経ってもフランスは「真の国王不在」状態から抜け出せず、従って内戦も終わらず。そのためにも、早くどこかでやらねばならぬ。非常事態には、従来の慣例に縛られていてはならない。特例としてシャルトルという町で成聖式が行われることになります。それが1594年2月27日。3日間の断食で始まり、最後に司教から戴冠を受け、それを見守った群衆からはやはり「国王万歳!」の大歓声。この儀式によって「カトリックの守護者」を宣言し、聖香油を全身に塗られて「神聖な身体」になる儀式を行えば、国王としての権威は数段増し。これによって散々抵抗を続けていたパリも遂にアンリ4世に対して城門を開き、晴れてパリ入城。ノートルダム大聖堂でのミサに参列し、パリ市民も「国王万歳!」の大合唱。

続けて4月10日の復活祭。アンリ4世には「病を治癒する秘蹟」の儀式を行います。これは国王が「瘰癧患者」の身体に触って、「その病を治す」という即位後の慣例儀式。この日、アンリ4世は約600人の患者の体に「触り」ました。イングランドでは「ロイヤルタッチ」と呼ばれ、国王に触れてもらった患者が感激して元気になり、病が治ってしまったこともあるそうです。この時、アンリ4世に「触れて」もらった患者が実際に治ったかどうかは、定かではありません。ただ国王として、そしてカトリックの守護者として、苦しめる者に救いの手を差し伸べるという姿勢が大事。その姿勢が国王への共感を呼ぶのです。

これら一連の儀式が厳粛に、そして民衆の大歓声とともに行われている間に、パリ以外の都市も次々と新国王に帰順。アンリ4世の一大決心が報われ、ほとんどの都市が平和裏のうちにほぼ無血開城。抵抗を続けてきた貴族たちに対しても、その大半には以後の国王への恭順と引き換えにお金と地位を保証してあげる寛大さ。金で平和を買ったと言うなかれ。戦乱が打ち続くことの方が、よっぽどお金と人命が失われる。抵抗を続けていた貴族にしたって、その大半は信仰も大事だがそれと同じくらいに地位とお金も大事。お金を渡してあげて、それで平和が買えるならその方がよっぽど安上がり。

しかしそれでもまだ抵抗を続ける貴族もいます。しかも相変わらず、スペイン王フェリペ2世による「カトリック同盟」」への支援も続いている。かくなる上は一気にケリを付けるしかない!ということで1595年1月17日、スペインに宣戦布告。ほんの数年前までは国内が分断されていたフランスも、この時はその大半がアンリ4世に帰順。一方のスペインはいまだ超大国とは言え、「アルマダの海戦」でイングランドにも敗れ、その国力は徐々に下降気味。それでも一進一退の闘いが続きますが1597年9月17日、6か月に及ぶ「アミアン攻防戦」をフランスが制したことにより、戦局は一気にフランスに傾きます。この機を見計らってアンリ4世はスペイン側との和平交渉に入り、その間に最後まで抵抗を続けていた貴族も遂に帰順。1598年5月2日、「ヴェルヴァン条約」が結ばれて戦闘が終了。そしてこの4か月後には、スペイン王フェリペ2世が死去。事実上、スペインの黄金時代が終わりを告げることになります。

「ナントの勅令」原本

そのヴェルヴァン条約が締結されるほんの数日前の4月30日。アンリ4世は「ナントの勅令」を発布。この勅令は、制限付きながらも「個人の信仰の自由」を認めた、この時代としては画期的なもの。それまでは「領主の信仰がその国・都市の信仰」。つまり領主がカトリック信者なら、そこで暮らす人は皆カトリックしか信仰できない。ですがこの勅令によって、「個人の信仰の自由」が謳われました。ユグノーの礼拝を出来る都市は限定、カトリックの教会に税金を払い、その祝日も尊重するなど、両派が完全に平等になった訳ではありませんが、それまでの状況を考えればかなりユグノー側に歩み寄った内容。ユグノーに自由を認めてあげねば、彼らは戦闘を止めることはない。かと言ってあまりに急激に認め過ぎると、今度は圧倒的多数のカトリックから不満が出る。言ってみればこの「ナントの勅令」は、打ち続く内戦を一刻も早く終わらせるための「妥協の産物」。キーワードは「寛容」。まずはお互いのことを認めよう!そこからすべては始まるというもの。

こんな芸当が出来るのも、カトリックとユグノー、何度も改宗して双方の立場が理解できるアンリ4世だからこそ。「命より大事な信仰があるか?まずは内戦を終わらせよう!そして国を復興させよう!」というアンリ4世の心の声を形にしたもの。この「ナントの勅令」の発布以降、戦闘は急速に止み、遂に1562年の「ヴァシーの虐殺事件」以来、約40年に渡って戦われてきた「ユグノー戦争」も終わりを告げることになりました。フランスは分裂の危機を何とか免れました。アンリ4世がその「テキトーさ」で乱世を統一しました。

こうしてフランスを崩壊の危機から救って、意気揚々のアンリ4世。しかしそれとは裏腹に、彼の家庭は崩壊の危機に瀕します…。

続きは次回に。また1週間後の配信です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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