☆マルティン・ルター

マルティン・ルター

1517年10月31日、ヴィッテンベルク城の教会の扉に、「九五カ条の提題」なる文書を貼り付けて、贖宥状を売りさばいていたマインツ大司教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルグに公開討論を呼びかけた、ある神学博士が居ました。その人の名はマルティン・ルター。この人の名前、「世界史の教科書に出てきたな~」と、記憶を呼び覚ました方もいるでしょう。ドイツ人の名前にしては珍しく短くて発音も簡単ですから、大方の人がひとまず記憶にだけは残っているようです。略歴を記しておくと…。

1483年、アイスレーベンという鉱業の町に生まれます。父ハンスは鉱業でまずまずの成功を収めた事業家で、家庭はそこそこ裕福。父ハンスは息子マルティンを法律家にするために教育熱心で、マルティン13歳から親元を離して各地で勉学に就かせます。18歳でエアフルト大学という所で哲学と法学を学ぶようになります。

運命が激変したのは1505年、22歳の時。大学の休みに実家に帰省して、また大学に戻る道の途中で、激しい雷雨に遭います。この時が初めての経験だったのか、落雷の轟音にこの世のものとは思えないほどの恐怖を感じて、死も覚悟したというルターはその時、「聖アンナ、お助け下さい!修道士になりますから!」と思わず、物の弾みで叫んでしまったようです。

別に周りで誰かが見ていた訳でもないのだから、自分の中だけに納めておけば良いものの、なぜかルターは本気だったようで、両親に修道士になることを告げます。当然ながら両親は大反対。それでもルターの意志は固く、聖アウグスティヌス修道会に入会。以後、修道士として学問に励む日々を送ることになります。

そんなルターの前に突如現れた「贖宥状」問題。これは先述したアルブレヒトが、司教位に推薦してもらうべく、「ローマ教皇は今、サン・ピエトロ大聖堂の建設資金を必要とされている。であれば、ローマ教皇のためにも贖宥状をどんどん売って資金を稼いであげよう」という下心が丸見えのもの。後に「宗教改革」と呼ばれる事件が、神聖ローマ帝国(ほぼ今のドイツ)で発生したのには、こんな事情があった訳です。

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