プロローグ 1740年、ベルリンとウィーンにて

1740年、日本では江戸時代の元文五年、八代将軍・徳川吉宗の頃、遠く離れたヨーロッパで二人の新しい君主が即位しました。

1人はこの年の5月31日にプロイセン王国の首都ベルリンで、「軍人王」と呼ばれたフリードリヒ・ヴィルヘルム1世の後を継いで即位したフリードリヒ2世。ヨーロッパの東の辺境に位置する小国プロイセンの国力を充実させ、後に「大王」と呼ばれるまでの実績を残します。その手腕は他国の君主からも尊敬を集め、その熱狂的なシンパが「大王」の絶対絶命のピンチを救うことになります。

もう一人は10月20日、狩猟に出ていて体調が急変し、そのまま帰らぬ人となったハプスブルク家の当主にして神聖ローマ皇帝カール6世の後を継いで、オーストリア大公となったマリア・テレジア。彼女もまた、激動する内外の情勢を巧みに乗り切ってオーストリアとハプスブルク家を守り、「女帝」と呼ばれるようになります。しかも忙しい政務の合間に子供を16人も産んでいる、肝っ玉母さん。その中の15人目の末娘は、名をマリア・アントニア。と言うよりも、フランス名のこちらの方が有名でしょう、マリー・アントワネット。フランス革命で断頭台の露と消えた王妃。彼女が本当だったら嫁ぐはずもなかったフランスに行くことになった訳は、「女帝」マリア・テレジアも絡んだ複雑な国際情勢によるのですが、それは追々と。

この「大王」フリードリヒと「女帝」マリア・テレジア。共に「啓蒙専制君主」と括られて、この時代の「啓蒙思想」を自分なりに勉強して、「上からの改革者」として遅れていた国を近代化した君主です。共に学問も好き。文芸や音楽、芸術を愛する心もあって、と来ればさぞ二人は話も合って、善隣友好関係を結んだのだろう、共にドイツ語を話す者同士だし、年恰好も近いし…。

ところがこの二人に限ってはそんなことはなく、その関係は終生犬猿の仲、水と油の関係。特に「女帝」マリア・テレジアが「大王」フリードリヒを憎むこと甚だしく、18世紀中ごろのヨーロッパ国際情勢は、この「大王」と「女帝」、とプロイセンとオーストリアとの対立関係を一つの軸として展開していきます。

そしてこの両国の対立関係に絡み合うようにして、周辺各国がある時は「大王」を支持したかと思えば、その次には手のひらを返して「女帝」を支持。権謀術数と利害打算に基づきながら国益を追求するという、まさしく弱肉強食のヨーロッパ国際政治が繰り広げられたのもこの時代です。特にイギリスとフランスは、地球全体で見れば「局地戦」に過ぎない、この「大王」と「女帝」の戦争に乗っかって、ヨーロッパどころか世界を舞台にした勢力争い、俗に「第二次英仏百年戦争」と呼ばれるような争いを繰り広げていました。

またこの時代は「啓蒙思想」と呼ばれる、「超自然的な力(=神・宗教)から離れて、人間の理性と自立を促す」学問が隆盛を極めました。代表的な人物としては、フランスのヴォルテールで、この人物にはフリードリヒ2世やマリア・テレジアのみではなく、もう一人の「女帝」ロシアのエカチェリーナ2世も交友を結ぶなど、各国の君主が自分の前任者たちとは違った学問を取り入れて、国を近代化する・強くするということに邁進した時代でもありました。

と、このように18世紀のヨーロッパは、「大王」と「女帝」以外にも、善悪絡まって個性的な人物が多数登場する、ヨーロッパ史の中でも特に面白い時代の一つなのですが、あまり広げ過ぎても収拾がつかなくなってしまうので、ひとまず物語のW主演として「女帝」マリア・テレジアと「大王」フリードリヒ2世を据えたいと思います。この二人の主演の対立を通じて垣間見える「欧州歴史絵巻」。楽しめる方は気長にお楽しみいただければと思います。

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