☆父カール6世の苦悩

カール6世

マリア・テレジアの父であるカール6世は、この時32歳。今でこそ神聖ローマ皇帝を名乗っていますが、そもそもは帝位を継承するはずもなかった人です。

1700年、カール6世が15歳の時に勃発した「スペイン継承戦争」。これは同じハプスブルク家のカルロス2世が、跡継ぎを遺さずに死去したために発生した、スペインの跡目争い。それが諸外国を巻き込んだ大戦争になりました。なぜそうなったかと言うと…。

カルロス2世は死去の前、スペイン王位を、フランス王ルイ14世の孫であるアンジュ―公フィリップに譲ると遺言しました(フェリペ5世として即位)。これではスペインがハプスブルク家のものになるだけではなく、長年の宿敵フランスと同じブルボン家の手に渡ってしまう。これにフランスとスペインが合併して、強大になり過ぎることを警戒したイギリスやオランダなどの周辺国が介入して、14年も続く大戦争になりました。

カール6世の父レオポルト1世は、カールをスペイン王にするためにスペインに送り込みます。カールはイギリスの将軍らと協力して、一時はバルセロナ包囲に成功して「カルロス3世」を名乗りますが、すぐさまフェリペ5世に奪還されてしまいます。その後もイギリスやオーストリアの将軍の力を借りて、何度もフェリペ5世と渡り合うも、肝心なところでいつも敗北。

そうこうしているうちに1711年、兄ヨーゼフ1世がこちらもまた跡継ぎを遺さずに死去。よって弟であるカールが神聖ローマ皇帝カール6世として即位することになりました。

そうすると今度は、風向きが一気に変わります。これまでの諸外国は強大化するフランスへの脅威から、ハプスブルク家・オーストリアに味方していましたが、神聖ローマ帝国皇帝に即位したカール6世が、これまたスペイン王位も兼ねるとなると、話しは別。ちょうど200年前の1519年、同じくスペイン国王と神聖ローマ帝国皇帝を兼ねたハプスブルク家のカール5世のように、これまたあまりにも強大すぎる帝国が出現することに、各国はより大きな懸念を表明。結局、1713年のユトレヒト条約に名より、「フランスとスペインが合併しない」ことを大前提条件に、ブルボン家のフェリペ5世の即位が諸国によって認められました。これによって、カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)の時に、政略結婚の妙技によって上手いことスペインをせしめたハプスブルク家は、その200年後に「政略結婚の具」である子種を遺せずという皮肉な理由で、スペインを永久に喪失。一方、スペインに足場を築いたブルボン王朝は、本家フランスが大革命によって断絶したのを横目に、紆余曲折はありながらも現代まで続いています。

もう一つ、現代まで続いている問題はカタルーニャ問題。1713年のユトレヒト条約締結後、諸国の軍隊が引き上げてもバルセロナだけは頑強に抵抗を続けました。そこで1714年、フランスの援軍を受けたフェリペ5世は、「第3次バルセロナ包囲戦」を強行。9月11日、バルセロナ陥落。フェリペ5世は最後まで頑強に抵抗した敵を許すという、寛容の精神を持ち合わせる王ではなく、カタルーニャの自治権はく奪、カタルーニャ語の禁止、大学の廃止などを断行。バルセロナ陥落の日は「カタルーニャの日」に制定され、現代に続く「カタルーニャ独立問題」として尾を引いています。2017年の住民投票の結果も、約300年積もりに積もった感情が露わになったものなのです。

話しを18世紀のヨーロッパに戻すと、男子の跡継ぎが生まれないことに頭を悩ますカール6世。しかし現実は待ってくれません。亡き兄ヨーゼフ1世の娘婿たちに継がせるか?いや、それはない。ヨーゼフ1世はマリア・ヨーゼファとマリア・アマーリエという、二人の娘を遺しましたが、二人の婿はそれぞれザクセン選帝侯アウグスト2世と、バイエルン選帝侯カール・アルベルト。神聖ローマ皇帝選出の選挙権を持つ諸侯であり、この連中を迎え入れたら、ハプスブルク家を乗っ取られる恐れが大。それだったら、とカール6世。窮余の一策を打ち出します。

 

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